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ばくち [雑記]

博打っていうのは、


「相手にプレッシャーを与えることができる


レートでなければだめだ、」


と友人の父親の博打打ちから聞いたことがある。


負けると大変なことになる、という恐れがなければ


それは博打ではなく、「おあそび」だ、というのだ。 


てゆうことは、麻雀はどこまでも、博打とはなり難い、


そういうはなしになるのかな、と思った。


負けると大変なことになる、という恐れがあって


本当にもうダメだ、というところから生還したときの


何とも言えない安堵感に脳を焼かれるのだろう。


そういう世界に「憧れちゃう気持ち」がないわけではない。


一か八かの勝負。


かっこいい響き。


でもね、そのためには、やはり人事を尽くすべきだ、と思うのだ。


できることをすべてやった後、天命を待つ。


だから、「運を天に任せる博打」はなんとなく納得ができない。


麻雀においては「不思議な勝ち」より、「納得のいく負け」のほうが


心穏やかでいられるのは、麻雀が運のゲームではない証左なのかも知れない。


 


 


 


とろ.png 



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となりの晩ごはん [雑記]

 


昔、いつも、だいたいとんでもない牌を切っている


じいさんがいた。


リーチに無スジをぶった切る。


ドラも切る。


「よしよし、できたぞ!


通せよ!通らばリーチじゃ!」


「じいさん、リーチ棒は、いらんばい。


ロンじゃ、マンシュウ!」


こんなやりとりは、しょっちゅうだった。


なんでそんな牌を切るのだ?


という問いに、


じいさんはいつも、くしゃくしゃな笑顔で


「わしには、わしの家庭の事象があるんや!」


と、これまたくしゃくしゃな諭吉を卓に、放り投げながら答えた。


::::::::::::::::::::


麻雀には、正着や、そうしたほうがよい、というモノがある。


また、


大多数の人が、選択するマジョリティ、というものがある。


それはそれで、しっかりと理解する必要はある。


けれど、大切なことは、それを理解したうえで


「もう一度、自分でしっかり考えること」だ。


そのことよりも、大切なことはない、と思う。


麻雀の正しさなんて、ひとそれぞれだ。


他人にとやかく言うことではないし、


他人にとやかく言われることではない。


人には人事情があるのだ。


他人の晩御飯のおかずに干渉するようなことは、やはり下品だ、と思うのだ。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


けれどつかさ会は、麻雀を勉強する場所だから、


他家の打牌については、それを教材とすることとなる。


これは、実は、とても大変なこと。


なので、


①どうしてその牌を切ったのか?理由を尋ねる。



②その意見を伺って、自分ならどう思うか?を答える。



③同卓者の意見も伺う。


としている。


何が正しいか、なんて、そういうのは


おのおのが決めること。


そういう、意識を持つことで、麻雀の世界は広がる、と思っている。


ちなみに、今日の私の晩御飯は、


牛スジ煮込み天ぷらうどん、です。


めちゃうま。


 


  ↓



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死神の鎌

 


牌の音が聞きながら、観戦していると、


何の前触れもなく


バッサリと意識を切り取られることがある。


気を失って、次の半荘とかになっちゃってたりする。


せっかくの大切な時間を気を失って過ごしてしまうことは


本当にもったいないのだが、どうにもならない。


おいしいおやつを食べたあととかに、


死神が来て、ばっさりと私の意識を切り取ってゆく。


「ようし、次の半荘は仲間に入れてもらおうっと!」


おやつを食べながら観戦。


ばっさりやられて、


意識が戻ったときには、次のその日最後の半荘が


はじまっちゃっていた。


「・・・・・・・」


:::::::::::::::::::::::


某フリー雀荘でのこと。


半荘1回だけ、のつもりが


イスから立ち上がることがもうきついので


そのまま座り続けていたら、


どんどん半荘が重なっていった。


二二三四四五六七③④⑤45


南3局、へこんでる親番に


このシャンテン


ドラ四ワン


4ソウ5ソウのタテヒキのことは


脳細胞を使用するまでもないことなのに


気がつくと、自分の捨て牌に4ソウがツモ切りされていた。


麻雀の醍醐味とも言える南場の親番で


また、意識を持っていかれていたらしい。


対局中、コンマ何秒か召されてたようだ。


上家のおじ様の打牌が、あまりにも、おそ・・


いやいや重厚に思考をお重ねになった一打で・・・


もう・・・


こののち、下家からサンワンが打たれて


「ほら、やってしまったわ」


「和了のチャンスを逃したから、次は振り込む番かな?」


とか思っていたら、


五を引いて


二二三四四五六七③④⑤45五


二二三四四五五六七③④⑤45


どうせ間に合ってないんだよね、


と七を切ったなら振り込んだ。


手出しツモ切りなんかも、みてはいなくて


「みてなかったから、ツモ切りだったことにしよう」


とか、そんなチョーテキトーな情報収集。


そんなんなら、麻雀うたなきゃいいじゃん。


同卓者に迷惑でしょ?


それは、おっしゃるとおり、ごもっともでございます。


でもね、麻雀打ちたいんですよ。


あの、牌の音の聞こえる喧騒が安らぐんです。


麻雀のある風景が好きなんですよ。


ちゃんとできなくても、打ちたい。


いやいやすいません。


ちゃんと打つから、仲間に入れてください。







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昭和のじいさんの麻雀  [雑記]

 


じいさんは、じいさんなのだ。


マナーが悪いとか、そういうことは


こちら側の事情。


じいさんにはじいさんの世界があるのだ。


じいさんは、じいさんで、自分の仲間たちと


そういう麻雀を打ってきたのだ。


ドラを切ると、ひとこと物申す。


リーチにムスジも、ひとこと、物申す。


ツモ和了は、麻雀における最大のクライマックスなのだから


当然、ツモ牌は割れんばかりに叩きつける。


そういうことを、じいさんは、じいさんの仲間たちと


楽しんでいたのだ。


それが、じいさんの愛した麻雀なのだろう。


けれど、きっと、じいさんの大切な仲間たちは、もういない。


おそらく、先にあの世で卓を囲んでいるのだろう。 


この世にはいないのだ。


じいさんは、ひとり、仲間たちとともに愛した麻雀を


ただただ大切に守っているだけなのだ、きっと。


そのことを思うと、単なるマナワルも、実はとても愛おしい。


私は、じいさんの牌山を前に出し、じいさんのリンシャンをおろして


じいさんの捨て牌をなおして


じいさんの点棒申告を手伝う。


私が、でしゃばる度に、じいさんは、小さい声で


「わるいな」とつぶやく。


(他人の牌山に触ることは本当は禁止です。)


「昔の麻雀は、楽しかったですか?」


私が、対局の合間に訊ねると


得も知れぬ笑顔で、


「ああ」


と、じいさんは、やさしく答えた。


ルールやマナーは大切だ。


マナーの悪いじいさんも、マナーは直したほうがよい。


けれど、マナーを守ることが偉いわけでも、


マナーを守らないことが悪いわけでもない。


麻雀を大切にしたい、と思う気持ちの有無。


同卓者のことを、考える気持ちも有無。


このことのほうが大事で、まず、これありきだ。


じいさんは、拗ねてるだけだ。


拗ねて、嫌われてでも、自分の麻雀を打ちたがっているだけ。


でも、麻雀が好きで、同卓者がもう少し


じいさんに歩み寄れば、じいさんの気持ちも変わる。


そうやって、みんなで作っていくからこそ、


麻雀には価値がある。


見ず知らずの4人が、麻雀を通して通じ、


力を合わせて良い対局を作る、ってサイコーだ、と思う。


マナーだけできていても、


同卓者の気持ちを考えることができない、というのであれば、


それこそ、マナー以前の大切なことができていない、ということだ、と


私は思うのだ。


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じいさんの麻雀  [雑記]

強い雨がふる。


風のにおいに、季節の移ろいを感じる。


日暮れの街並に佇んで、少し考える。


「麻雀、打ちたいな。」


とりあえず、13枚の配牌を開いてみたい、


そう思った。


ほんの半荘一回でよい。


それだけで、なんだか自分の疲れもとれる気がした。


店に入ると、丁寧に卓まで案内された。


配牌を開くと、なんとも、どこにも辿り着けそうにない感じ。


場をみると、かちゃかちゃ かちゃかちゃ


同卓者のみなさまは、


自分の手牌の理牌にご執心。


その様子をぼんやりとながめる。


私自身の手牌の未来への準備は整っているので、


他家の戦力を分析しよう。


トイメン


ツモリ方が大振り。


まるで、ホームランでも狙っているようだ。


深めに帽子をカブっていらっしゃることから、


自分の手牌ありきのタイプなのかも知れない。


上家は、マナーに気を使っている様子。


多分、ノーレートの健康麻雀あたりで麻雀を覚えたのではないか?


そして、下家。


白髪のじいさんだ。


牌山を前に出さず、ぶつぶつ言っている。


そして、一打目を卓に叩きつける。


「あ~だめだ。」


いきなり、このひとこと。


打牌が終わると、今度は手牌の端の2枚の牌で


かちゃかちゃと手遊びを始めた。


リーチに危険牌を切られると、舌打ち。


ツモ和了でもしようものなら、


牌をこれでもか、というくらい卓に叩きつける。


ちいさなひとりごとと、うまくいかないことへの憤り。


そのじいさんのそういう思いが卓にこぼれてくる。


身勝手。


自分本位からくるマナーの悪さ。


やがて、このじいさんの麻雀の所作に、


同卓者からクレームが入り、店員から注意が入る。


「いいじゃねえかよ!ちいさいことをよお!」


消え入るくらいの小さい声でつぶやくじいさん。


同卓者は、みな不愉快な気持ちを隠しきれずにいる。


そんななか、わたしは、そのじいさんに対して


まったく別の気持ちをいだいていた。


 


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ゲーム代金はボディにくる [雑記]

 エンドレスクレージーナイト


とかほんの冗談のツモりだったんだけど


なんだか、のりのりなテンションになって


本当につかさ会の通常運転を突き抜けた。


12時間経過した地点で、


まじっすか?と思ったけど


1ゲーム300円とはいえ


たくさん打つと結構な金額になる。


半荘20回とか打てば、もう6,000円ですから。


なので、できるだけ観戦を交えて


負担が大きくならないように打つのだけれど


おやつとかも食べちゃうし、


ごはんも当然食べちゃうし、で


なんやかんやで、20時間も打てば、諭吉の姿が消える。


 個人的には、麻雀のゲーム代金は1時間100円くらいでよい、と思うのだ。


手積みでいいです。


セットで打つのに、高いゲーム代はいや。


:::::::::::::::::::::::::::


過去に支払った場代で最高金額は、62,400円(4人で)


39時間ぶっとおしで打ったとき。


当時は、麻雀が打てればゲーム代のことなんて


考えたこともなかった。


覚えたてだったし。


当時の仲間内でのルールでは、


トップをとった人間がゲーム代を負担するウマをつけていたのだけれど、


最終的には、誰一人勝っていない状態になった。


場代の一人勝ちである。


途中、カツドン食ったりとかしてるし、


駐車場代のかかる雀荘だったし。


場代 62,400円


駐車場代4台 8,000円(1台に纏めるとかいう知恵はなかった)


ご飯代4人で20,000円くらい


合計 90,400円って


ほぼ、10まんえんじゃないか!


(実際6人で入れ替わりでうったけれど)


打ってる最中は、らりってるので


何も考えていないけれど


支払いカウンターで眩暈をおぼえた。


あの時は、さすがにばっくれようか、と思った。


どんなに強い雀士でも、ゲーム代には勝てません。


一番強いのは場代です。


 


 


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一気通貫と捨て牌 [雑記]

 エンドレスクレージーナイトは夜の部を向かえ


へんてこりんなテンションになってくる。


麻雀も12時間を越えると


精緻な読み、とか働かなくなって


ただ単に感覚で手を組むようになる。


ホンイツからのわたりを打つために


8巡目だかに、マンズの五六のターツを払うことになった。


トイメンが早そうだから、トイメンに危険そうな牌から落とす。


トイメンの捨て牌には特に強い影はなく


あるとすれば、タンヤオかしら。


ドラは七ワン。


河はよく見えないや。


ただ、安そう。


リーチ来てもリーチドラ1くらいじゃないかしら。


三色だったら、五六七とかありそうだから、


先に五を切っておこう!


で、五ワン切った直後にトイメンからリーチ!


おけ、おけ。


2巡後、テンパイ。


打六。2600ですか?


ロン!


8000!


リーチピンフイッツードラ。


一二三四五七八九


いけない!


六ワンは、両面でピンフイッツーにぶちささる数少ない牌。


(四ワンもあるよ!)


忘れてた!


イッツーの存在!


こういう安そうな河に隠れているイッツーの存在!


河が安そうなときは、イッツーに警戒をしろって、あれほど・・・


五ワンは、てゆうか5は


ピンフイッツーには刺さらない牌なんだから、


安そうなリーチとおもったんなら、


三色警戒の五先切りではなく


イッツー警戒の六先切りでしょ!


安そうと思ってるのに、三色警戒とか


自分の思考に打牌が追いついていなくって


情けなくって泣けてくる・・・・


 


 


 


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余計なお世話サマー [雑記]

 秋の終わりには、遠いあの夏の日を思い出す。


歳月を重ねても、色褪せることのない、思い出。


++++++++++++++++++++++


 学生時代のはなしだ。


緑が映える突き抜けんばかりの夏。


夏の日。


少ない車両編成の電車を乗り継ぎ


 友人Tのいる、本州のほとりのその町を訪ねる。


無愛想なその友人とは、なぜかウマがあい、長いつきあいとなっていた。


小難しい本が散乱する学者気質の友人の部屋。


その大きな塊の脇に


神田先生の「shoichi」が転がっていた。


訊けば、仲間内で麻雀に誘われることもある、という。


ギャンブルとは縁遠い彼ではあるけれど、


大学生ならでは、の麻雀と人との付き合い。


研究者気質の友人Tが、「麻雀」にはまっている、という様子が


なんとなく心地よかった。


麻雀の魅力に参ってしまっているのだろう、


と、そこは頷くことができる。


麻雀、楽しいよね。


こみあげてくる気持ちのまま、麻雀の好きな役や


桜井章一のハナシをしていると、ドアにノックの音。


友人Tと「同じ研究室の人間」が3人現れた。


一人は小脇にマットを抱えており、


もうひとりは、牌の入っているであろうケースを抱えていた。


どうやら、友人と麻雀を打つつもりのようだ。


その夜は、友人と同窓生と一席を準備していたけれど


まだ、時間が3時間ある。


わたしは、別にかまわない、と答え、部屋に寝そべり


「shoichi」を読むフリをしながら、友人のうしろに陣を取って


友人たちの麻雀を眺めることにした。


半荘1回目。


友人Tの一人負け。


2回目も


友人Tの一人負け。


その研究室の連中の会話から、


いつも友人が負けていることが推察された。


簡単にいうとカモられているのである。


そのグループの中では、カーストができあがっており


もはやその力関係はなかなか変わらないだろう、と思えるほど。


簡単に言うなら、格付けが済んでしまっている。


最後の半荘。


親番の友人に勝負手のテンパイ。


先制リーチに対して、AとB、2種類の牌を抱えてうんうんと唸っている。


どうみても、Bの牌のほうが安全だ。


Aは手出し牌の周囲で、70パーセントくらい危険。


Aの牌を切ろうとする友人。


だめだ!


「違う、そっちじゃない!」


おもわず、強い語気がこぼれた。


堰を切ったように続ける。


「こっちだ。こっちを切れ!」


Bの牌を指し、


「もし、当ったなら今日の負けは全て俺が肩代わりしてやる。!」


私の言葉を訊いて、ほんの少しだけ考えた様子を残して、


友人はAの牌を切った。


「やっぱり、出ると思った」


そんな心ない言葉のなか、リーチ者は手牌を開く。


友人の切ったAの牌は振込となり、


結局、その対局は友人の一人負けとなった。


二つ折りの財布から負け分を支払いながら、


「まだまだ、修行が足らんな」


と友人Tは無愛想に、こぼした。


その対局はお開きとなり、そのあとの飲み会でも


麻雀のはなしはなく、


不況はお札を刷ってかいけつ!


とか、フリードマンかぶれなネタが飛び交った。


もし、私が余計なことを言わなければ、


友人Tはどうしただろうか?


Bの牌を切っただろうか?


ただひとつ言えることは、


私が口出しをした結果切る牌と、


私が口出しをせずに、友人Tの意思のみで切った牌とでは


全く意味が違う、ということだ。


友人Tは、「自身の麻雀への想い」それに、さらに生活費まで乗せて打っている。


そこは侵してはいけない男の勝負の領域だ。


私は、友人Tより麻雀を知っている。


友人Tより、麻雀が強い。


だから、友人Tがカモられることに我慢が出来なかった。


勝たせたかった。


だから・・・


けれど、これこそが、麻雀における最大の罪である。


わたしこそが、最大のクソ野郎だったのだ。


勝つとか、負けるとか、お金が増えるとか、そういうことは


本当のところ、どうでもよい。


大切なことは、そのひとが導き出した「答え」だということ。


麻雀の正解みたいなものが存在するとして、


例えば、それと照らし合わせてみると、それは間違いかも知れない。


けれど、だからといって、「自分の出した答え」と違う正着を打つことには、何の価値もない。


それは、誰の麻雀なのか?となる。


正しいから偉いのか?


強いから偉いのか?


正しいとは何なのか?


マジョリティであることか?


間違いではない、ということなのか?


強い、とは何か?


強い、と思われることか?


お金を持って帰ることか?


正しいから、強いから偉い。


それは違う。


それが正しいと思えるのは、


それが正しいと思える麻雀だけを見つめているからだ。


それが習慣になると、自分の麻雀だけが大事な人間になってしまう。


大切なことは、相手と牌と自分をしっかりと見つめること。


その結果の打牌であること。


それよりも、ちゃんと相手をみつめよう。ちゃんと麻雀をみつめよう。


相手の麻雀を見つめよう。


どんな結果になったとしても、みんなちゃんと考えているはずだから。


見つめていればわかる。


(逆に麻雀を舐めているひとや、勘違いしているひともよくわかる。)


つかさ会では、「理由があれば、全て正しい」。


返せば、正着であっても、そのひとが理解できていないのであれば、


理由がないのであれば、それは一打の解としては間違いだ。


そんな借り物のニセモノの打牌に価値なんてない。


でも、些細であっても、しっかりとした理由があれば、


そこには大きな大きな価値がある。


麻雀は思い上がらないこと、そのことが、とても難しいゲームだ。


そして優しい気持ちを持ち続けることが難しいゲームでもある。


もちろん、私も優しくなさ過ぎることはあるし、「思い上がっているな」


と思うことなんて枚挙にイトマがない。


でも、それを諌める気持ちを併せ持ちたい、と願っている。


そうでなければ、麻雀があまりにも哀しい。


私も孤独で惨めだし、麻雀も狭くモノ哀しい。


少し、麻雀が強くなって麻雀のことがわかってきた、


なんて勘違いを始めるステージに到達すると、


心のまま謙虚であることが、とても大切になる。


謙虚なふりをしたほうが、好感度が高い、とか


麻雀わかってるオーラがでちゃう、とか、


そういう打算ではなく、


ただただ純粋に麻雀の前で、無垢なる存在となりたい。


:::::::::::::::::::::::


その友人とは、もう30年を越える付き合いとなり、


卓を囲むことも、数え切れないくらいあったけれど、


麻雀の対局内容のハナシをしたことは、一度もない。


打牌については、物言わず受け止め


墓場まで持っていく、そういう美学である。


わたしも、麻雀について、他人と意見交換をする場に


身を置くなんて、思いもしなかった。


他人の思考についての答えあわせが出来る世界、というのは


なんとなく、推理小説をおしりから読んでるような


無粋なイメージをぬぐえない。


 


 


 ショーイチ.jpg


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点棒があると、むつかしい? [雑記]

 


 


点棒があるときほど、大切に丁寧に打たなければならない。


これが、実に難しい。


とある、南1局 北家


点棒を持っていて、ピンズのメンホンチートイのリャンシャンテン。


すでに、ドラのイーソウを切っている自分。


ここに、トイメンから5ソウ手出しのリーチ。


いつもなら、ノータイムのリーチを打つトイメン南家のリーチに


少し引っかかるような間を感じた。


待ちと値段を考えよう。


5ソウの前に3ソウを切ってあるので


2335ここからのターツ処理?


であれば、5→3が普通。


ただ、ドラターツを確定させたくて、先に3ソウを切った可能性もある。


ということは、ドラターツを確定させて、


なおかつ5ソウにも価値のある形だろうか?


であれば、23455678


ここへの9ソウ引き変化。


23456789


このテンパイ。


もしくは6ソウ引きの変化。


23456678


5ソウを手の内に残す理由はこのあたりだろう。


けれど、場を見るにソーズのイッツーはなさそう。


ただ、こういうテンパイワタリだとしたなら、


準備ができていることになり、あのリーチでの


引っかかりに説明がつかない。


もしくは、5678の部分の三色振り替わり。


であれば、これもまた引っかかりに説明がつかない。


平素の南家は、まったく気配を出さすにリーチを打つ。


なのに、今回は、ほんの少し、ためらいがあった。


もしかしたなら、気のせいかもしれない。


でも、そういう感覚が気のせいだったことってあんまりない。


1ソウを切って振り込みとなる可能性はそれほど高くない。


てか、通るんじゃね?


そのほんの少しのリーチアクションから


値段がそれほど高くない手組ではないか?と感じてるわけだし。


もともと気配は落ちない打ち手なのだから、


その打ち手を相手に、違和感を感じている自分がいるなら


値段はない可能性が高く、5→3→ではなく、3→5についても


ドラそばの3ソウを先に処理したかった、という可能性もでてくる。


南一局、親番の下家も向かっている様子だし、


ドラの1ソウを打つなら、今しかない。


放置していると、親も聴牌とかしてきて、制御不能になるんじゃない?


そんな予感もよぎりまくり。


・・・・でも・・


でもね、打たなくてもいい。


1ソウを我慢しての、親番と南家との横移動でもいいし、


ツモ和了されてもいい。


でしゃばる必要はない。


点棒があるんだから。


でも、点棒っていうものは、局を進行させるために使うべき。


とくに、序盤で持っている点棒は、他家の勝負手をつぶすために使う、というのはあり。


自分なりの理由で、1ソウを打つタイミングは今しかない。


ここを逃せば、他家も、追いつく。


親番も追いつく。


その結果、他家が点棒ウハウハになる可能性だってある。


私が参戦せずに、決着がつくと、そこがノッテきて


瞬間で場の展開を持っていかれる可能性だってある。


(そんなオカルトありえません)


例えば、この南家がツモ和了したり、親番の追いかけリーチに競り勝ったりして


次の親番で大爆発してしまう可能性も十分にある。


でも、そうなる前に、振り込めば大帝国は築かれるリスクは小さくなるはず。


(そんなオカルトありえません)


でも、他家はどう思うだろうか?


ドラなんか切って・・・と思うかもしれない。


でも、ドラだから切らない、なんてことはカンタンなことだ、と思う。


一生懸命打たなければ、と思う。


お金の賭かっていない麻雀。


まあいいや、と思った瞬間にその世界は色を失う。


だから


切った1ソウは南家の2600に刺さった。


タイミングの問題もあったのだろう。


残念ながら、同卓者からは、何の質問ももらえなかった。


なめられている、と思われただろうか?


むしろ逆だ。


自分にとって有利な打牌を遠慮することのほうが


なめていることになる。


点棒があるから、その点棒を使って局をすすめる。


でも、そうすると、他家は勉強の機会を失うんじゃないか?


私が、自分の麻雀の都合で、振り込み局を進めることで、


他家の一生懸命な未来が踏みにじられる、それを考える。


そう考えることはおごりではなく、


つかさ会がこの場所が、麻雀の勉強をする場だからだ。


でも、そうすると自分の一生懸命はどうなるんだ、という話になる。


そういうことばかり、考えてしまう。


だって、わたしの師匠はそうやって、自分の麻雀を削って


道を示していてくれたのだから。


でも、自分にはそんな力はないし、削るほどの麻雀もないから、


余計なことを考えずに精一杯打つべきだ、と思うんだ。


でも、強烈な「コレジャナイ感」に包まれる。


自分はどれだけ、自分の師匠に憧れているのか?


と可笑くなってしまう。


いまここに、師匠がいたなら、


きっと、参加者全員に納得のいく麻雀を届けることができているはず。


自分も含めて。


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南3局、西家。


点棒たくさん。


二三四五五④⓹⑥778白白


2巡目にこの形。白がでる。


ポン、1000点。


以前なら、自分が和了する必要はない、と白を外したりしていた。


トップを取ることが目的だから、白は仕掛けないとだめだ。


だけど、そうすることで、他家の1局が消える。


でも、プレイヤーであれば、白を仕掛けないなんて、


舐めプ以外のなにものでもない。


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点棒の必要な、東2局南家、ドラ5ソウ。


三五六六556④⓹⑥⑥⑦⑧


2巡目ここに下家から打たれたドラをスルー。



五五六六555④⓹⑥⑥⑦⑧



四五五六六55④⓹⑥⑥⑦⑧


のテンパイで流局。


結局四ワン待ち。


これは、格好つけてないで5ソウ鳴かないのは、緩手。


::::::::::::::::


どうしていいかわからないから、


一生懸命打つ、っていうのは、実は、会の運営的には


思考停止で最悪なんじゃないか?と。


麻雀を勉強したい人がせっかくたくさん集まってくれているのに


全然役にたてていない、というゆるぎない現実。


自分がどうこうではなくて、参加者に満足してもらうには、


どうすればよいのか?


これは、本当にむつかしい。


だって、麻雀に求めるものはひとそれぞれなのだから。


だから、参加者ひとりひとりに尋ねるしかない。


膨大なエネルギーを消費しようとも、それを徒労とは思わない。


どんなに時間がかかっても、そうすること以外に


大切な仲間たちに対して


自分が役にたてることなんてないと思う。


        ↓



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ミサイル発射!

 


例えば、そのミサイルは見当違いなところに飛んでくるとか、


そういった牽制は無意味だ、とか。


そういった挑発は止めて欲しい、とか。


国際社会の秩序を乱すとか・


そんな風に主観のもとに流れてくる情報のなかで、


それが、さも正しいことのように思ってしまう。


いや、それはそれでよいのだけれど、


ちょっと視点を変えてみるといろいろな姿が見えてくる。


角度を変えると、また違った様子が見えてくる。


例えば、ミサイル発射に至る経緯。歴史。


特に歴史を紐解き、先入観を捨てて、


相手の視点で物事をとらえると、納得せざるを得ないものも見えてくる。



アメリカは戦勝国。


硬性憲法。


プラザ合意。


安保。


朝鮮戦争。


ベトナム戦争。


日本は戦後の平和憲法によって


その全文からして、あらゆる戦力を放棄している。


けれど、アメリカの脅威に対して


軍事力を強化することは、いち国家として極めて


当たり前のことだ、と思う。


冷戦は続いているのだ。かたちを変えて。


:::::::::::::::


何事も角度を変えて、


正しいと思われていることを、一度真剣に疑ってみる。


本当に自分の全経験と教養を持って格闘してみる。


そんなバカなこと!


と思う気持ちをぶっとばして、思考を自由にしてみよう。



自分のなかの正着打を疑ってみよう。


疑って検証した結果の、正着と


疑わない正着では、価値が違う、とわたしは常に思う。


そして、そういう検証を重ねていくこと


そうして、立体的に物事を捉える習慣を持つこと


そのことが勉強だ、と私は思う。


例えば、


1億人がそうだ、と示すマジョリティを疑うことは


おろかなことに思えるかもしれない。


けれど、そのマイノリティにこそ価値がある。


極端なハナシ


人類はそうやって


空も飛べるようになったし、


月に辿り着けるようになったりしたのだ、


と 私は思う。












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たけおしゃん

 


小島武夫が、タイトルを取ったときのビデオ


その内容は現在でも覚えている。 


トイトイ


ペン7ソウのイッツー


ネットのない時代、麻雀の実戦の様子を映像でみることも、


非常に困難だった。


当時、フリーで出会って仲良くなった友人たちと一緒に、


その映像に釘付けになった。


1本500円で、その大きなビデオテープを借りる。


第3回麻雀最強位戦。


心地よいリズムで打牌が続く。


魅せる麻雀。


現在は、牌理のもとに、すっかりとなりをひそめてしまった感があるけれど、


私は、小島武夫の麻雀は大好きだ。


勝ってお金を持ってかえることが目的の麻雀で、


勝って、優勝をして名を馳せることが目的の麻雀で、


「勝ち方」に拘る、その強い麻雀は、


当時の私たちの心を鷲掴みにした。 


 結果なんてどうでもいい。


観ていてわくわくする。


そういう意味では、たけおしゃんはホンモノのプロだと、


私はそう思っている。


目先の自分の得を捨てて、


麻雀そのものの魅力を伝えようとするその姿勢は、


やはりどこまでも魅力的だ。


最近の小島先生は、


解説なんかだと、理にかなっていないと思われる


コメントも多いのだけれど、


そんなことは些事に過ぎない。


大切なことは、麻雀を愛していて


その魅力を伝えることに人生を捧げているその姿勢だ、と思う。


このビデオを観てから、


我々は赤ナシで打つようになる。


1時間かけて、下関まで足を運び、強い人間を集めて打つ。


少しでも運の部分を省きたくて


ウマを少なくしたピン。


当時は、競技麻雀なんて知らなかったし


ノーレートなんて口にしょうものなら、


「あーん?兄ちゃん、冗談は顔だけにしろや!」


と叱られてしまう、そんな時代だったので。




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天鳳戦したとき [雑記]

こんにちは
にこです。

フリーでよく打ってる人が集まるグループと、たまに天鳳戦をする。
その時に、つかさ会の人を誘ってみた。

結局、来てくれたのはつかぴょんさんだけだったのだけど、
同卓になって、
(あ!この人強い)と感じてしまった。

身近に強くて手応えのある人が居るのは幸せなんだと思う。

フリーに行かないなら強くなる意味がわからなくなっちゃうからね。

ラスボス倒してぇぇ!ってモチベーションあがる(笑)

また、天鳳戦をする時は、つかさ会の面子誘ってみようかな。


天鳳最近やってないよーって人はクリック
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雀めし [雑記]

ごはんを食べながらの麻雀は、御法度。


理由は、行儀が悪いから。


でも、本当は、食べながら打ちたい。


とおもっていることも事実。


マナーは大切だから、ながら麻雀はね。


だめだよね。


でも、仲間うちの楽しい麻雀なら、あり、かも。


ぺ・ヤングを混ぜながら、リーチ!


ひとくち食べて、


キンキンに冷えてやがるコーラをキューっと飲む。


もう、サイコーでんがな。


カレーとか、ラーメンもいい。


ちょうど、にんじんをほうばったところでのロン!とか。


あと、この半荘はだめだから、


お食事タイムにしたり、とかもやってたなあ。


餃子定食頼んで、食事に集中して、次局頑張る!みたいな。


一番大好きだったのは、


オレンずハウスのホイコーロー丼。


そして


おレンズハウスのカレーライス大盛。


次が


ぶー麻雀店のカツ丼。


あと、千草麻雀教室のチャーハン。


そして、ぺ・ヤングですかな。


おれんずはうすのごはんは、本当においしくて


絶対、世界に名立たるシェフが作っている、と思う。


どんなごはんがあるのかな?っていうのも


雀荘の楽しみのひとつだと思うんだ。


みなさんは、すきな「雀めし」ってありますか?


;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;


しのぶんのてきとにっき3ねんぶりのこうしん



 https://ameblo.jp/maryshinobu/


とろ.png 



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クラスのみんなにはないしょだよ。

?ツカピョーンです。


麻雀には、「ここだけはひけないぜ!」


という正念場があると思うんです。


まあ、哀しき勘違いだったりすることもあるんでしょうけれど・・


その局を決定づける場面。


と判断できる状況であれば、
和了牌以外は全てツモ切る。
そう、たとえそれがドラであっても・・・
もちろん、場の状況的に
意図的にドラに比重を置いた手組とせざるをえない
相手がいる場合は、その限りではないけれど。
もちろん、和了に賭ける場面なんて、そんなには存在しない。
自分で、これは心中してもよい、と思える状況は
実は(自分にとっては)それほど存在しないのだ。
大切なことは、「勝負局だ」と判断できた場の状況判断だ、と思うから。
だからこそ、稀であるそういう勝負局においては
打牌を躊躇はするべきではない、と思う。
「勝負局は、ゼンツです。」
「もちろん、ドラも叩き切ります。」
こう答えるとアフォウのようだけれど・・
理由があって矛盾してなくて、楽をしてなければ、よい、と思うのだ。
とはいえ、自分はこういう勝負局で、ドラを掴んだ記憶がない。
ここから先はオカルトになっちゃうのですが・・・
(そんなオカルトありえません)
うまく言えないんですが、
勝負局と判断できている時って
「あたり牌なんて掴まない」
と思っているんです。
そして、もし振り込んだとしても、
その振り込みを生かして、さらに大きく手が入る、と
信じております。
精一杯、自分に矛盾なく打っていれば
それがいつかはわからないけれど、必ず自分に返ってくる。
そう厚かましくも、信じているんです。
もちろん勘違いもあるわけだから、精査は必要だけれど。
精神論になってしまいますが、
やはり参戦してなければだめだと思います。
戦う姿勢。
幼稚な攻撃ではなく、
丁寧で重みのある攻撃を重ねること。
気持ちを攻撃よりに持てば、
攻撃するための材料を探すようになります。
「質の高い攻撃」ために守備も整える必要があることに気づくことができる。
ちなみに、私は牌を信じ切っているので、
自分の手牌に都合の悪いことは起きない、と思って打ってます。
アンコウが1つあれば、四暗刻かな?と思うし、
タンピン系であれば、ああ三色ツモって、4000、8000とか
いつも勝手に夢見ています。
ピンフでリーチを打てば、一発でツモって、裏ドラが雀頭になると思うし、
追いかけリーチを打たれても、
「リーチ棒が増えたわ[ハート]」くらいにしか思わないです。
そのほうが、うまくいく気がするんですよね。
こんなオカルト、みんなには内緒ですが。
気持ちが大事。
もとい、気持ちも大事だ、と思っています。
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日常の話 [雑記]

こんにちは

にこです。

ここのブログが滞ってるので、「なんでも良いから麻雀の話じゃなくても良いから書いてー」

とつかぴょんさんに言われたので、気になった事を書いてみる。

さて、涼しくなってきましたね。

暑すぎた夏は引きこもりしてました。

そうすると、お庭が雑草でボーボーです。

なので、草むしりを開始しました。

私のやり方は、レジャーシート敷いてやってます。

軍手でやってたら抜いた草を袋に入れるのに雑草が引っ付いてしょうがないので、ゴム手袋にしました。

服装は長袖長ズボン長靴下。顔は日焼け止め。これで虫除け対策OK。

やり過ぎて身体壊さないように、疲れたらやめるようにしてます。(2~3時間ほどで止めちゃいます。)

そして、そのまま洗濯カゴに移動。上下靴下脱いで全取っ替えします。

コレなら汚れも気にせず草むしりに集中出来るからね。

数日のプランを考えながらやってますけど、天候により遅れていく。仕事と一緒だね。

そして、休んでる時間に(なんか効率の良いやり方ないかなぁ)と検索してたら、意外と草むしりで身体壊してる人多いのね。

一日中やってるとか、気持ちはわかるけど一気にやらないほうが…

あと、しゃがんでやってるんだって。
それは疲れるでしょう

私みたいにゆるりゆるりとやってる人って少ないのかな。

効率の良い方法は土を濡らすと楽らしい。

早速、風呂の残り湯を撒いてやってますよ。

まだまだ、終わらないけどがんばるよー。

そして、麻雀の話。

9月6日(水)に小林剛さんが町田のwelcomeにゲストとして来たらしい。

行くつもりだったのに、草むしりしてたよ。

気が付いたのは15時くらい。

体力も使い果たしちゃって断念しました。

(´・ω・`)

コバゴーさんのTwitterフォローしてるんだけど、なかなか前もって情報出してくれないのよね。

「今日は○○」とかだから全然間に合わない。悲しすぎる。

(私がTwitterをたまにしか見ないのも悪いんだけど。)

町田は行きたかったなぁ。

もう少し涼しくなって欲しいって人はクリック
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ちなみに草むしりしてると、ゾーンに入りはじめる。

そんなときは夢中になっちゃうね。

そして、ゾーンが終わった時が止め時(笑)

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7年?


あれ?
気がつくと、もう7年?
いや、8年近く経っているのか?
麻雀への温度の高かった学生のために、
発足した、当サークル。
もう、7年近くやっているのか・・・
麻雀を打ちたいひとが、ひとりでもいる限り、
たぶんずっと続いていくんだろうな。
人の出入りは激しいけれど、
参加者も、1回だけの参加をカウントするなら
トータルでは、140名を数えている。
ああ、そんなにたくさんのひとと、同卓してきたんだなあ。
打ちたいひとがいれば、開催。
そんな感じで毎週毎週、ここまで、続くとは。
麻雀のひとを魅了する力ってすごいなあ。
4人揃わないと、ダメだし、
意識が離れすぎていてもダメだし、
結構ハードル高い気がするけれど
それでも、みなさん、頑張れちゃってるから本当に不思議。
みんな貴重な時間を麻雀に使っている。
当たり前だと思わずに
価値ある貴重な対局を心掛けないと。

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振り込むこと [つかさ会にて]

こんにちは
にこです

麻雀って振り込むことが悪いみたいになってるんですよね。
天鳳が主戦の人は特にそうなりがちですが
でも、実際は強い人ほど振り込みます。

いい振り込みと悪い振り込みがあって、いい振り込みの時に振り込むからです。

前に、強い人からの「振り込んだ点数と下りて逃した点数のどちらが多いのか考えてみたら?
下りて逃した点数の方が多ければ問題」
との事なんですよね。
これは衝撃を受けました。


前に実験的に、全部突っ張ってみましたけど、やっぱり負けます。
大負けです。(下りは必要)

でも、メリハリ付けてやってみると、強くなると思うんですよね。

そして、そんな連中と囲むと、運勝負。

そんな、麻雀は面白い。

振り込んだ人をバカにする人が居ますけど、それは間違ってると思いますよ。

久しぶりにつかさ会に参加しましたけど、「振り込まないこと」に力を入れすぎな気がしました。
当り牌を数個予想して、それ以外を突っ張ってみたらいいのにな。

つかさんが怒るのかしら。

今回は偉そうだゾ!って人はクリック!
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あと、ゲームの「振り込み率」これも振り込まないことに力を入れ過ぎてしまう原因のひとつかもしれないですね。

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ステルス小三元ホンイツ付き


最初の半荘はエネルギーが有り余っているので
本当考えられないくらい他家の手出しを見つめる。
上家の親番のネソケンさんが、中をポン
めずらしく1枚目に食いついたので
大三元を警戒する。
そのあと、発を手出し。
ああ、大三元を諦めて
ホンイツかトイトイを軸にしたんだな、とおもった。
そのあと、⑦のトイツ落とし。
!確かに⑦はとりにくいし、場にもきついから
トイトイの牌構成には適していない。
トイトイのターツ選択が入っている、ようだ。
続けて⑦が2枚下ろされてはいるけれど
これは「危険牌を可能な限り早く落としたい」という理由からだろう。
今はまだノーテンだ。と切り出した6ソウがささった。
12356発発発白白  ポン中中中
18000
え?
発。
そうか、しまった。
発、空切り。
やられた。
序盤の手出し→その牌の周辺、関連はない可能性が高い。
中盤の手出し→必要だけれど必要ではなくなった可能性が高い。
終盤の手出し→その周辺の牌を持っていて、和了牌と関連している可能性が高い。
必要だけれど、必要でなくなった、
そのように思わせるために
4枚目の発をノータイムで空切りしていたのか?
少しでも、躊躇や動作に違和感があれば、
気づくことができたはずなのに。
おそらく、最初から
「4枚目の発をツモってきたときの準備」
が整っていたのだろう。
発をツモってきたなら、手の内に入れて
手の内から、発を切り出す。
4枚目の発に対する準備があらかじめ整っていた。
ということだ。
こういう準備がしっかりできている打ち手だ、
ということがわかった。
次回から、注意する。
でも、痛恨の18000点だったなあ。

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お久しぶりの生麻雀 [雑記]

こんにちは。
にこです。

私は年末年始、GW、お盆に定期的に打ってる仲間がいる。

この仲間でGWに打ったあと、全然麻雀牌を触らないままお盆開催が来てしまった。

麻雀熱はだだ下がりで人数集まるなら遠慮しようと思ってたのだが、きっかり8人って事なので参加してきましたよ。

大会形式なので6回戦のトータル成績なのですが、まぁ、もう6位くらいだろうなぁと思ってたのですよ。

しかし4回戦が終わって2位。
ここから上位卓と雑魚卓に別れるんだけど上位卓に入った。

5回戦が終わって1位。

びっくりびっくり。
5回戦、6回戦にもなると、みんな真剣で誰もしゃべってくれない。
雑魚卓は楽しそう。
上位卓は、なんだか真剣。

空気が重いぉ。(´・ω・`)

もう決勝戦になると、みんな前のめりなのでリーチ三昧。
運勝負だね。

運に負けて、4位になりましたよ。
でも、ふらなかった。
良いことと思っておこう。

***
さて、ダイジェスト

3回戦のときタンピン三色赤表でリーチ。
下家がチー。

ツモ!
メンタンピン三色ツモ赤表裏

はてさて、何点?
点棒来ましたよ。\(^o^)/

下家「あ!チーなしチーなし」
遅し!


4回戦のとき
五を
私「チー」
晒した牌は七四
私「あ、間違えたぁ」
みんな「打牌してないから直していいんだよ」

私「ナイ!!」( ̄^ ̄)
みんな。ぽか~ん。
1000点バップで難を逃れました。

九七四と持ってたのですが、八六四のリャンカン受けと勘違いしてましたね~。

***
真面目な話
2の浮き牌と⑥⑦を持ってた。
親が早い。
2の周辺が当たりになると見越して、⑥⑦を切った。
私「後ろ見の人に絶対バカにされるわコレ」
と言った。
みんな「後ろ見されることないから、言われないなぁ」
そうか、フリー勢は後ろ見が居ないのか。

14待ちでテンパッて
親リーチに追っかけリーチ。
親にツモられたけど、同じ待ちだった。
ツモられたけど、待ち読みが当たって、密かに上機嫌な私でした。


なんか、やっぱり麻雀って面白いじゃん。
って思って
また麻雀しようと思ったのでした。


でもさぁ。
麻雀の面白さってメンツ次第だよね~って人はクリック
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邂逅4


mizunome188.gif

 

ツモッてきたを空切りする。

「これで、ピンズも打ち辛いだろう。」

麻雀を少しはかじっている人間であれば、

この⓹手出しは看過できないはずだ。

でも、実際はカン8ソウ待ち。

「これが格の違いってやつだぜ。」

 しかし、大男は、親である私の手出しに

手の内から③を切り出してきた。

④⑦と読んだのかな?

と思っていたなら続いて④も切り出してくる。

とピンズの両面ターツをはずしてきた。なんとも不気味である。

「私に、もしドラ7がトイツで入っていたら、12000点の可能性だってあるのに。

大男がドラを持っているのだろうか?」

大男の捨て牌が、不気味にみえる。

だが、ドラを重ねているなら、中盤に危険なピンズの両面ターツはずしとは、どういうことだろうか?

ピンズ待ちが存在しないという情報などどこにも落ちてはいない。

大男の捨て牌は、あらゆる牌構成を私に想像させた。

序盤8切り、東のあわせ打ち、でホンイツは考え辛い。

タンピンだろうか?15巡目に私は5をツモ切る。

しかし、8は釣れない。大男も次巡5を手出し。

なにがなんだか、わからない。

予想外にも流局だった。

おそらく私以外全員ノーテンだろう。

2900点のあがりも、ノーテン罰符の3000点の収入も、私にとって、充分な結果だ。

そう思い親である私から、手牌を倒す。下家はノーテン。

しかし西家の大男が、手牌を晒した。

私は不覚にも、驚愕を隠せなかった。

12233468西西西南南。!!!カン7待ちメンホンの聴牌である。

しかも肝心なドラも使ってない。大男の模打は4巡目には8。終盤に5手出し。

8でなく5を切れば12233456西西西南南の高め1ハネツモ3面待ち聴牌なのに。

「間違いない。カン8を一点で読まれた。しかも、メンホン聴牌。」

偶然ではない。何なんだ?この男は?

仮にカン8を読めたとしても、麻雀には入り目がある。

一点で読むことなど不可能だ。

しかも、8を切れば、最終形の3面待ちの聴牌。

8切りを我慢などできるはずはないのだが。

 大男は、また、わたしの手牌と捨て牌を見つめている。

 


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空切り 


手出しとツモ切りはぼんやりとだけど、みている。
何をツモって、何が切り出されたのか?
そのことを推察することが「麻雀」だからだ。
ただ、自分の感覚としては、
序盤の手出し→その牌の周辺、関連はない可能性が高い。
中盤の手出し→必要だけれど必要ではなくなった可能性が高い。
終盤の手出し→その周辺の牌を持っていて、和了牌と関連している可能性が高い。
手牌構成への関連度合いは、終盤の手出し牌のほうが情報が多い。
なので、中盤もしくは終盤の手出しだけ見ていれば事足りる。
でも、わたしはすべての手出しを見る。
なぜなら「たくさんの情報から正しい情報を集めて局面を読む」
このことが楽しくて仕方ないからだ。
もちろん、手出しを見ないほうが、シンプルな情報だけを拾える。
捨て牌=手牌構成に使用されていない牌。
という情報。
手出しを見ない、という選択ももちろんアリだ。
だが、私は「情報を精一杯拾った結果」を競いたい。
「情報処理の結果」の答え合わせで競いたいのだ。
だから、手牌推察はやめない。
手出し、ツモ切り、をみる場合に注意しなければならないのは
「空切り」だ。
たとえば、
一二三四五六七八九2245
こういうテンパイをしているひとが、
五をツモって
手の内から五を切ってリーチを打ったとする。
そうすると、五が手牌構成テンパイのために
必要だった、関連牌だった、という情報がこぼれる。
結果、五ワン周辺にも注意が必要となってしまうのだ。
終盤の手出し→その周辺の牌を持っていて和了牌と関連している可能性が高い。
だから。
空切りそのものは、その周辺の牌を持っている、
という情報を与えるリスクが大きいから、多様するべきではないけれど、
使い方によっては、相手への情報攪乱の効果が見込める場合がある。

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12000と32000


結局は、牌のあとさきが全てなのだ。

④⓹45発発中  チー213 ポン白白白

もし③⑥、36ソウが打たれたなら、

当然チーをして、打中。

その③⑥、36ソウを仕掛けないことは、

これまた、おもいあがりで、やりすぎだ。

 ④⓹45発発中  チー213 ポン白白白

この状態のときに、中を引けるかどうか?

中を引いた。

いとも簡単に。

④⓹45発発中中  チー213 ポン白白白

ここから、④⓹ 45

どちらを切るか?

ソーズの仕掛けをいれているのだから、

ピンズ待ちにしたほうが和了しやすい。

けれど、麻雀の目指すところはツモ和了。

しっかりとツモ和了をめざしてゆこう。

ピンズのターツを払い

白を加カン(競技ルール、新ドラは増えない)

発を仕掛けて

45中中   ポン発発発 チー213 カン白白白白

5ソウを引く

455中中   ポン発発発 チー213 カン白白白白

この変化。

45に5を引く、タテへの変化。

これは、役満になりたがってるよね?

手牌がモーレツに役満を目指しているよね?

これで、和了が欲しいとか、和了しやすい、とか

そんな理由で、5ソウツモ切って

そのあと中を引いたなら、真水に浮く。

45中中   ポン発発発 チー213 カン白白白白

でも、手役の全体の牌姿を考えると、

このかたちにしておいて、

中で後手を踏んでも

4中中中   ポン発発発 チー213 カン白白白白

こう受けて

中中中北   ポン発発発 チー213 カン白白白白

チャンタ牌に受けたりとかしたほうが、和了できそう。

でも、西以外の一九牌がすべて切れている(場に枯れているんだもん・・)

55中中

これよりは・・・

とか考えたけれど、・・・・・・・・・・・・

もうこのままダイレクトに中をツモレばいいじゃんけ。

大三元が大すき。

で、

55中中   ポン発発発 チー213 カン白白白白

このまま押して、発を加カン。

なんで?中を引けばいいのに、白とか発とか

4枚目の牌ばかりツモってしまうってどういうことなのよ?

嫌な予感しかしない。

で、6ソウを持ってきて、対面のタンヤオチュウ

78待ちの6ソウのカタ和了にぶち刺さりました。


DSC_3033.jpg

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朝倉南と大三元


朝倉南はひどい人間だ。

幼馴染それぞれ

①和也には、甲子園に連れて行ってもらう。

②達也には、結婚してもらう。

自分のために、使い分ける。

そういうひどいひとが、ルックスだけで ちやほやされる、醜い世界。

自分のことばっか、考えてんじゃねーぞ。

当時の自分は、和也の無念を晴らす達也を応援するために

毎週サンデーを読んでいた、に過ぎない。

:::::::::::::::::::::::::

こういうテンションで打てる自分はしあわせだ。

勝っても負けても、悔いはない。

(力不足は反省するけれど)

 

ドラ五ワン

 九②④⓹⑧3459白発発中

感覚的に、役満の気配しかしない。

1000点でよいのだから、役満など見なくて、

ターツの効率で必死で1000点を狙ってもよい、と思う。

けれど、私は、この1枚しかない、発も中も大事にしたいのだ。

そのことが、対局そのものを大事にすることにつながる、と思う。

やりすぎてはいけないから、そこが本当にむつかしい。

ダメだ。まだ、我慢だ。

こういう牌を安易に切り飛ばした結果トップをとっても、

ひろりん師匠も、ますたぴょんも、どいんちゃんも

「ふーん。あなた、そんな麻雀打って楽しいんかね?」

と思うに決まっている。

F岡先生は、思っていても、口にはお出しにならないだろうけれど。

楽をして、自分を育ててくださった

大切なひとたちをがっかりさせる麻雀は打てない。

麻雀には想いがこもっている。

気持ちひとつで世界は変わる。

想いを込めて打つ。

そうすることしか、自分は麻雀に恩返しができないのだ。 

ドラ五ワン

 九②④⓹⑧3459白発発中

ドラを受ける気など、毛ほどもない配牌。

ツモ1ソウ。

三色破壊、イッツーがみえる牌。

ここは、素直に九を切る。

次巡、白が重なる。

打②ピン

下家親番の一打目が⑨なので、

裏スジ⑧は感覚的に切りたくない。

理屈でいけば、⑧を切って

②④⓹で抱えたほうが、④⓹⑧で持つより

③をひいたときに、②③④⓹となり、②③と④⓹で

2ブロック、となりメンツも足りるのだけれど、

下家のケア、ドラが五ワンであること、

そしてなによりも、第一ツモの1ソウ引きが、

感覚的に「場に合わせて染めるように」

⑧より②を先に切らせる。

④⓹⑧13459白白発発中

ここからは、全て仕掛ける。

ここに白が打たれる。

ポン打⑧

ソーズ本線。染まりたがっているのか?

④⓹13459発発中  ポン白白白

上家から2ソウが打たれて

考えるよりも先に、声が出る。

「チー!」

④⓹459発発中  チー213 ポン白白白

打9ソウ

④⓹45発発中  チー213 ポン白白白

もし③⑥、36ソウが打たれたなら、

当然チーをして、打中。

その③⑥、36ソウを仕掛けないことは、

これまた、おもいあがりで、

「ふーん。あなた、そんな麻雀打って楽しいんかね?」

と、思われてしまう可能が大なのだ。


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邂逅3


軽いアガリの後の親番。

親番である私が仕掛ければ他家は警戒して、手を遅らせるだろう。

配牌を取りながら、「とにかく食い仕掛けていこう」 私はそう考えていた。

もちろん食い仕掛ける必要がない面前手であれば、聴牌即リーチだ。

相手を制圧してしまうことが一番大切なのだから。

視線を感じる。見つめられている。

 配牌は、

二四②④⑧⑨799発発東南北。ドラは7。

赤牌はない。

赤牌はないけれど・・・

「よし、仕掛けて発ドラ1。親だし2900点で充分だ。」

三ワンや、③ピンから食い仕掛けることができれば

フリー麻雀最強の役であるタンヤオでを警戒させることができ、

他家を牽制することができる。最高の配牌だ。

密かにほくそえみながら、一番必要のない北を切り出す。

上家の三ワンに食いついて、チー

。二三四を晒す。

をツモリ打

マンズを愚形処理風味に仕掛け

ピンズの上の愚形からを払うことで、

タンヤオ、下の三色を思わせる。

赤牌のあるこのルールでは、タンヤオ仕掛けは

三色を匂わせることがコツだ。

とくに、ドラが中張牌の時などは

高目赤牌、12000なんて展開はよくある話。

そして、をツモリ打南。

②③④⑤799発発東 チー三二四 

6巡目に、待望の発をポン。

打東。

タンヤオに見せかけて、役牌を鳴く。

当時は、これが私の必勝パターンだった。

(必勝パターンだと思っていた。)

②③④⑤799。  ポン発発発 チー三二四

次巡ピンをツモリ、打9ソウ

②②③④⑤79  ポン発発発 チー三二四

ドラを生かした、カン8待ちだ。

7巡目、2900点の聴牌。

この形から、さらに赤牌をひっぱってきたり、ドラの7ソウを引いたりして

手牌が勝手に高得点になっていったりしても構わない。

ちらりと、大男の捨て牌を見る。4巡目に8ソウを切っている。

「よし、いい展開だ。この大男からあがってやる。」

わたしは、なぜかこの大男を倒したくて仕方がなかった。

 「しめしめ」そう思いながらも無駄ツモが続く。

12巡目、ツモッてきたを空切りする。

「これで、ピンズも打ち辛いだろう。」

⑤の空きりは、他家にとっては⑤手出しと同じ。

④⑤⑤や、⑤⑤⑥からの切り出し、③⑤から②を引いての切り出しなど

聴牌変化の可能性は無限大に存在するはず。

これで、ピンズも打ちにくくなるはず。

大男の河をみつめる。

「早く8ソウ掴まないかなあ・・・」

私は大男の河を見つめ待ち続ける。

 


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上杉達也と役満の気配


やるべきことがいきなり増えた。

日頃、のんべんだらり、としているのに

やるべきことをやらないと、いけない状態。

そういうのは、頭を押さえつけられているようで、苦しいので

やるべきこと、を「やりたいこと」に脳内置換する。

あ、おれ、早起きしたかったんだよね!

この仕事もこの仕事も、やりたかったんだよね!

夏の猛暑、体験したかったんだよね。

そうすると、モチベーションを高く持つことができて 

もっともっといろいろなことに頑張りたくなる。

上杉達也が、甲子園を目指して野球を頑張っているときに

学校の成績もなぜかよくなる、という現象。

そういう気持ちでいると、やりたいことは

もっともっと楽しみになる。

麻雀を打つこと。

これがもう楽しみで仕方ない。

今回は、勉強会ではなく実戦形式の

ガチ対局だから、気合はさらに倍。

テンション倍プッシュだ。

どんな麻雀に出会えるだろう。

もしかして、一番好きなあの役に出会えたりして!

わくわくする。

今日も師匠にお見せさせていただく気持ちで一生懸命打とう。

おなかも空かせて、集中力を途切れさせることがないように

お昼も抜いて、飲み物も控えて、体を気持ち軽くしてのぞむ。

とにもかくにも、悔いがないように打とう。

「これで最後だ!」くらいの気持ちで

ガチ対局の気持ちで臨む。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

その日の対局は感覚で打てていた。

指で和了牌がわかる、あの感覚も数回あったし、

(この感覚は言葉では説明できないけれど、

麻雀との一体感が強烈な安心感を与えてくれる。

押し引きについて、判断がつかない局は2回だけだった。

ちいさなエラーや逡巡が山ほどあったし

対局中に思わずメロンソーダーを飲んだり、

うっかりカレーパンを食べてしまったり、

おせんべいに手がのびてしまったり、

準備が足りなくて逡巡したり、で結果としては25点くらいの出来。

話しかけてくるメンバーに気を取られて、

仕掛け忘れたり、も 一度あって、あれは、情けなかった。

(容易に話しかけられる空気で打ってしまっていることが

そもそも問題で力不足)

・・・・・・・・・・・・・・・

で、とあるオーラス。

1000点を和了すればオケイの私に

九②④⓹⑧3459白発発中

かような配牌がやってきた。

感覚的に、役満の気配しかしない。

こういうときは、こういうときも、

ツモってきた牌の種類で判断しよう。

牌に尋ねて道をひらく、ってやつだ。

 

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邂逅2

 



 「打てるじゃろうか?」

声の主は、山のような大きな体をしていた。

人の良さそうな顔つきだが、目だけが妙にギラギラとしている。

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「もし、邪魔でなければ、1.2回遊ばせてもらえんじゃろか?」

そう続けるその男に、店員は「どうぞ」と席を譲りルール説明を始めた。

「レートは・・・」そう口にする店員をその男は遮る。

「説明はええ。また、わからんことがあったら、教えてつかあせ」

謙虚なのだかなんだか、とにかく、私は、その男のことが気にいらなかった。

笑顔は柔和なのだけど、油断できないオーラを纏っている。

「レートもルール説明も無用とは、たいしたもんだな。

偉そうにしやがって!まったくもって、気に入らない!」

心の狭い自分は、もう、完全に戦闘モードに突入していた。

今日の私は、自分で言うのもなんだけど、よい。

思いのほか、状態がよい。

どんな牌でもツモれる気しかしない。

勝ちを上乗せしてやる。

牌が卓上に4枚並ぶ。

つかみ取りで場を決める。

「東ひけええ!」

ドス黒い闘志に包まれながら、牌を掴みぐりぐりする。

指先に、とがった感覚。

南・・・

赤有り飛び有りの麻雀は、絶対に東家が有利だ。

18000とか、24000をぶち当てることができれば

ほぼ、トップとなる。

ちっ。

いいさ、東2局、私の親番で誰かとばせば、それでいい。

麻雀なんていうものは、気持ち9割だ。

少々強気でなければ、取れるトップにも届くことは出来ない。

奇妙な静寂の中、対局が始まった。

対局の顔ぶれは、私と、店員さんと、20代の若者と、その大男の4人。

 

サイが振られる。

私は、南家。大男は、西家。私の正面の席に腰掛ける。

東1局 南家である私に、役牌の南が組まれる。

よし、速攻だ。

開局刹那、初牌の南をノータイムで「ポン!」

叩いて、すばやく、南ドラ1

2000点を和了する。

(フリー麻雀のコツは、安手だろうとなんだろうと、とにかく手麻雀であがり続けること。

自分の手が安いということは、他家の手は高い。

自分が安手でもあがれば、他家のチャンス手をつぶすことができる。

まずは、他家の形を払うこと。そう、その頃の私は信じていた。)

いつもどおりの軽いあがり。いい感じだ。

そう思い、点棒を受け取る私の手牌に、強い視線を感じた。

大男の焦点の定まらない目線。

遠くをみつめるような、慈しむような。

「なんとも表現できない表情」で

私の捨て牌と、倒された手牌を見つめていた。

私ではない、麻雀牌を見つめていた。

「なんだ、この男は?なにか文句があるのか?

おれの音速の仕掛けに、不満でもあるのか?」

私は、その大男になんともいえぬ不思議な感覚を覚えた。

いままで、こんな風に自分のあがり、自分の麻雀を強く見つめられたことなどない。

みつめているものは、私の和了ばかりではない。

私の捨て牌も見つめている。

私ではなく、私の麻雀を見つめている。

不気味であることはもちろんなのだけれど、

なんだか自分の南ドラ1の和了が、とんでもなくいけないことだったような、

そんな気持ちまで、沸いてきた。

「ふざけるな!」

 頭を振り、そんな雑念を振り払う。

「いままでも、こうやって打ってきた。

結果は出ている。これからも、同じ様に打つだけだ。

俺は間違ってなどいない」

次局は、私の親番だ。自分のアガリでひっぱってきた親番。

展開は良好だ。

私は、卓上に漂う違和感に気づかないふりをしながら、

自分を信じて、今までのお金を目的とした自分の麻雀を信じて

次局に向かってサイコロを振った。

 

 


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邂逅

デバサイの麻雀教室は、しばらくお休みいたします。


過去創作記事でのいんたーみっしょんです。


とても長くなりますが


お暇なときでもお付き合いいただけましたら幸いです。



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「あの、風速1.0ってどういう意味なん?」


麻雀クラブの入り口にある看板の表記。


そのことが、いつも気になっていた。


麻雀を覚えてまだ時間の浅い私は、


麻雀が達者な友人に尋ねる。


「ああ、あれか。あれは、レートやな。


金を賭けちょるっちゅうことを、オオヤケには


できんけん、ああやって書いとうとよ。


風速1.0やったら、1000点100円。


ハコって6,000円っちゅうとこやな。」


なるほど。いわゆる競馬やパチンコと同じで


お金を賭けて遊ぶゲームなのだから、当然だな、


と、私は強く納得する。


そして、それと同時に、

 

お金を賭ける、という行為にまっすぐ憧れた。


大切なお金を、お金なんかに興味ないぜ!


と言わんばかりに、粗末に扱う。


そういう無頼さに、どこか心魅かれるものがあった。


日常からの乖離。


麻雀というものは、お金が賭けてあって当たり前。


どんな事情があっても、ノーレートなんて有り得ない。


どんな相手であっても、必ずレートを乗せる。


1000点10円であっても構わない。


そうすることが、麻雀への敬意だ、とさえ思った。


背徳感。


清く正しく生きること、そのことを


真っ向から否定する理不尽なナニカ。


そういうところにも、真実があるのではないか?


そう思っていた。


::::::::::::::::::::::::::::::::::::::


まるで、小道の小さな喫茶店のようなただずまい。


ドアを開けば、カウベルが響き


店主が屈託のない笑顔で迎えてくれる。


セット卓を中心に展開していたその店が


いつからか、フリー卓も立てるようになった。


界隈のフリー雀荘から、人が流れてくる。


気がつくと、主な客層は、少し個性のある顔ぶればかりとなる。


パチプロ。


金融の取立て家。


バーの経営者。


みな、金銭感覚が少しだけおかしい。


彼らは、「麻雀を打つため」にこの店に集まっている。


「楽しむため」にこの店に集まっている。


「お金が目的」な人間はいなかった。


そのことがそのまま、私がその店に居座る理由となる。


その、楽園ともいうべき麻雀荘での、私の成績は、良好だった。

19時から、21時はサラリーマンタイム。

23時からは、パチプロタイム。

仕事を終えて弛緩した相手を狙う。

最初の半荘で、トップが取れなければ、卓を割る。

少しでも裏目を引いたり、不ツキのアヤを感じたならば

その日はもう店じまいだ。

それとは逆にツイているときは、とことん攻める。

 とにかく、お金が目的だった。

当時は、麻雀での僅かながらの副収入も必要だった。

金がかかっているのだから、どんな身勝手も許される。

たくさんいる常連客が「自分と麻雀」を楽しむなかで

私だけが、お金をみつめて、打っていた。

しかも、お金が目的と悟られぬよう、目立つ振る舞いは控えていた。

ラスは引かないこと。

南2局からの、2着狙いなんて、常套手段だ。

長いスパン結果を出すこと。

1ヶ月で、1円でも多くお金を持って帰ること。

2着にぶらさがることは、ある意味トップをとることよりも大切だった。

2着3回、トップ1回は、トップ3回、ラス1回より価値があった。

 その日も、私は、日当分を稼ぎ、雨足の強い帰路を気にしながらも、ラス半コールを入れる。

サラリーマンもパチプロも、帰宅した。

店員2人入りでの、その日最後の対局。

かごに入っている他人からむしりとった現金のなかから

ゲーム代を「先払い」しようとした刹那、店のドアが開いた。

 「打てるじゃろうか?」

声の主は、山のような大きな体をしていた。

人の良さそうな顔つきだが、目だけが妙にギラギラとしている。

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「もし、邪魔でなければ、1.2回遊ばせてもらえんじゃろか?」

そう続けるその男に、店員は「どうぞ」と席を譲りルール説明を始めた。

 

 


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ストーリー [雑記]



その半荘を考える。


対局における展開をひとつのストーリーとして


まず、予想をしてみる。


物語として、ちゃんと組立てみるのだ。


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一発や裏のないルール。


点棒のある東1局の親番から、


高得点に組み変える前の形の2000点タンヤオ。


これを上家から和了する。


こういう小さな和了を重ねてしまった。


こういう小さい和了・・


この場合の小さい、とは値段だけではなく


場に対して、小さい、の意味。


東1局でいくら和了を重ねても


次局がある限り、あまり大勢に影響はない、事が多い。


そんなわけで、東2局には、


下家親番に猛追を許してしまった。


東1局での私に点棒が集まっている、という状況が


東2局の下家の大たたきを誘発している、


と考えた場合、この場の組立ては失敗している。


南1局の親番までに、


現在点棒を集めている下家親番に


南場を自由にさせない必要がある。


その東場4局。


時間の都合もあって、あと3局というところだろうか?


北家だった私は愚形でリーチを打つ。


親番はシャンテンからでも押してくる。


そのままわたしが和了してもいいし、


親番がそのまま和了してもいい。


とにかくトップ目下家に楽をさせないことが目的だ。


この局の結果を受けて次局展開をつくってゆけばよい。


私のリーチをかいくぐって、戦車のように


ガンガン押してくる上家。


追いつかれる。


「リーチ」


なんだか、迫力のある声だけど


もしかして、そんな安そうな河で、


実は高いなんてこともあるのん?


非常にふりそうな流れなんだけど・・・


(そんなオカルトありえません。)


その次の巡目に⑨を掴む。


「ロン!」


上家の13枚は、絶二門だった。


⑨で、12000を打ち込み、


ちょっと、これはさらに展開が厳しいな、と思った。


親番を2回無意味に消化したことで


全然間に合わなくなってしまった。・・・・


点棒を集めて、その点棒をうまく活用して


局面をつくる、そういう先行して逃げ切るスタイルが得意ではない。


序盤の展開から、それを鑑みて


中盤終盤に逆転の展開をつくることが、得意だ。


そういう意味では、今回のように


序盤に無作為に点棒を集めて、時間を消費してしまったことは


まったく麻雀としていきあたりばったりで0点、


ということになるだろう。





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上家に照準を合わせる。 [雑記]


デバサイです。



ひとは、自分の目で世界をみているのだけれど


麻雀においては、それだけでは不十分。


もうひとつ、対局全体を客観的に見る力が必要。


自分の対局を、「観戦している気持ち」でみてみましょう。


それを習慣づけると、本質がみえてきます。


それは、麻雀は4人で打っている、ということ。


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他人の捨て牌をみる。


手始めとして、上家の「捨て牌」に気をつけてみよう。


上家の捨て牌には、誰もが知っている、2つのとても大きな特徴があるのです。


1つは、


「上家と同じ牌を切れば、他家からロン和了されない。」


ということ。


上家と同じ牌を切っていれば、安全だ、ということです。


例えば、聴牌気配の相手へのゲンブツがなかったとしても


上家の切り出した牌と同じ牌を切れば、まず大丈夫です。


そして、もうひとつは、


「チーすることができる。」


ということ。


自分の手牌の不足部分を、食い仕掛けることによって


補完することができる、ということ。


この2つの当たり前のことを、


まずは足がかりとして、「場を見ることについて」を考えてゆきましょう。


















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サシコミだいさくせん! [雑記]

 


私の親番が落ちた次局。


ソイツの親番を、ソイツの身勝手な都合のよい思惑を


いかに無残に粉砕するか、が、私の最大の目的となる。 


あいかわらず、不必要な牌を叩き切って、


まっすぐ向かってくるソイツ。


南家の青年がリーチをかける。


自分の和了のみを追及して、まっすぐ向かってゆくソイツ。


とんでもなく危険な牌を切って


ソイツの親リーチがかかる。


「ここだ!」


そう思う私。


「ここで、南家の青年にどストライクな4ソウを切ってやる。


最大のチャンスをぶっつぶしてやる・・・」


そう思っていたなら、西家の友人がまさしく


私が切る予定にしていた4ソウをさわやかに河に置いた。


「ロン!」


南家の青年が和了する。


5200点


やるなあ。


察しのよい友人のことだ、きっと私と同じことを考えていたのだろう。


もうこれで、奇跡が起きても、ソイツの浮上はありえない。


残りの親は、青年と友人。


もし、ソイツが和了を目指してリーチに来たならば、


速攻で、ソイツ以外に差し込んでやる。


ソイツの現物で、他家に危険な牌ばかりを溜め込む私。


南3局、青年が6000オール、12000と


立て続けに和了して、青年の心地よいトップが決まり


ソイツは海の底に沈んだ。


ソイツの後ろで観戦していた常連が、ソイツに声をかける。


「お?どうしたの、めずらしくへこんでるねえ」


その声に背中で応えるソイツ。


「ついてないんです。」


そうだな、確かに、そういう麻雀しか打てない


ソイツと同卓したわれわれはツイてないわ。


そう言いたくなった。


その店をでて、全くひどい麻雀を打ってしまった、と


案の定後悔をした。


けれど、腹が立って腹が立って仕方がなかったのだ。


誰かを勝たせない麻雀。


そんなものに意味なんてないし、気持ち悪いだけだ。


もう、しばらく知らないひとと打つのはやめよう


つまんないから、と、思った夏の日の出来事でした。


 


 


 


 


 


        ↓



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