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場末の雀荘

  つかさ会 


今週土曜日、14時スタート。


本厚木、くまちゃんにて開催です。


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その雀荘に顔を出すと必ずいるおいさん」。


いつもほとんど麻雀を打つことはなく


その雀荘の100円のサービスラーメンをすすり


カップ酒をちびちびやって、他人の麻雀を遠い目で見つめている。


打つことがあっても、週に1・2回。調子が悪いとすぐに卓を割る。


それ以外は、店のメンバーでもないのに、


でしゃばって他の客の代走をかってでたりしている。


本当に「麻雀」が、好きなのだろうな、と思っていた。


博打ではなく、麻雀そのものが好きなのだろう。


いきつけの雀荘は、小汚い雀荘。
タバコの煙で、視界もよくない。
ジャラジャラと牌の音と、罵声が響く。
照明の力不足もあるのだろう、とにかく店内は暗い。
だけど、わたしは、このいかにも「場末」な感じが大好きだった。
ある日、その雀荘に顔を出すと
視界の端に「おいさん」の笑顔が飛び込んでくる。
卓に入っていて、かごには1,000円札がズクで入っており
これみよがしな、羽振りのよい風景だ。


競輪だか、競馬だかで、大枚を手にしたのだろう。


Yシャツの胸のポケットから、万札も下品に3枚飛び出てる。


この世の春、とばかりに、ビールや寿司を頼み


抜けた歯を見せながら、とにかく楽しそうに麻雀を打っている。


その「おいさん」が伏せて取った配牌を開こうとしたときに


ちょうど、わたしと目が合った。


「よう、あんちゃん。」


チョー上機嫌に話しかけてくる。


「おれはよう、学もねえし、貯金もないけどよう!


夢と希望だけはよう、たっぷりつまってんだよ!」


そういって伏せられている配牌に手をかける。



「ここによ!」


と、これまた超上機嫌で、配牌を開く。


赤牌と白ダイヤの組まれた良形の13枚がまぶしい。


「な?」


と言って「おいさん」は、チョー男前のドヤ顔を見せた。


そうだな。


麻雀が楽しいのは、そういうわくわくだよな。


簡単そうな手が実は困難だったり、


奇跡のような出来事が起きたり。


配牌を取るときのわくわく。


リーチを打つときのクライマックス感。


ツモッたときの高揚感。


裏ドラをめくるときのわくわく。


そうだな、麻雀には夢や希望がつまっている。


次のツモを想像するだけで、


もうお小遣い日のように、わくわくする。


どんな未来が待っているんだろう、って。


私は、この時の常連の言葉があまりにも、印象的で


同時に「麻雀にわくわくしなくなったら、終わりだな」


と感じるようになった。


明け方に常連は、かごにはいった数千円を、くしゃりと握り締め


「また、くるわ」


と、しなびた笑顔を見せて、朝もやの中に消えた。


それから、数日後。


パチンコ屋の前でまるで死体のように


寝転がって閉店待ちをしている「おいさん」を見かける。


「パチンコ勝てれば、また、麻雀打てるよね」


それがだめなら、


「競輪、競馬もあるよね。」


そう思いながら、声をかけずに通り過ぎる。


麻雀には夢や希望がつまっている、


それを知っている「おいさん」なら、


きっとどんな人生でも問題ない、と思った。


それを知っていて、信じ続けていれば


とんでもない奇跡が「おいさん」のところに降り注ぐかもしれない。


結果、何もない はたから見れば「つまんない人生」であったとしても、


夢や希望のある人生だった、ということなのだから。


私は、ロマンチストではないけれど、麻雀には夢を見ている。


どんな奇跡も魔法もある、と信じている。


だから、自ら可能性を捨てるような打牌選択はしたくないし、


ときめくことのない正着には逆らいたい。


某哲学者は、いう。


絶望こそ、死に至る病だと。


かえせば、


希望こそが、人が生きる、最大の力、といえるのではないか?


そんな風にも思うのだ。













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